何の悪い冗談か知らないが阪神大震災が起きた時間が40分前後だったはず。
21年前、当時私は母と妹と神戸市東灘区の石屋川車庫前周辺に住んでいた。
奥の部屋の窓から見えるのは、裏手にあるお寺さんが炎に包まれている光景。
戦争など経験したことのない年代だが、まるで戦時中のような光景を目にした。
「あんたな、こういう時は1分1秒が命取りになるんやで!」
「ここで死ぬんか!勇気出して!お姉ちゃんやお母さんが付いてる!大丈夫やから!早く来て!」
と促し、妹の様子を見守りながら、やっとのことで全員が駅前のまだ被害の少ない場所に辿り着いたが、石屋川車庫前ということもあり、待機している電車が今度は私たちの目の前で斜め状態に傾いていた。
危険を察知した母が
「走れーーーー!」
と大声を上げ、母が走っていく方向に妹と懸命に走り続け、着の身着のまま逃げてきたため靴を履いておらず、偶然マンションから出てきた住人に
卒業アルバムから思い出の品、母が私が成人した際にと大切に残しておいてくれた着物、呉服、宝石の数々がすべて焼き尽くされた。
後の情報で下に住んでいた方は布団で寝たまんまの状態で遺体となって発見され、住んでいたマンションで奇跡的に生き残ったのは、なんと!私たち家族と残り1組だけであった。
これは本当に私たち家族がツイているとしか思えない出来事だった。
経験者から対策として皆様に伝えたいことは、大地震が起きた際には、絶対に「欲」を出さないこと。
それ以外の物を持って出ようとすることは命取りになるだけである。
なかや良子(りょうこ)の輝け大東市!
人想い、街想い、母子家庭に生まれたからこそ弱者の気持ちがわかります。 恵まれないお年寄りや、ご家庭の視点に立ちより良い、いたわりの街づくり大東市へ。
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